オットー・フォン・ビスマルクの逸話
沼に嵌って溺れている友人から助けを求められたところ、銃を向け「その沼は底なし沼なので助けようとすれば二人とも溺れ死んでしまう。せめてもの友情で苦しまないよう一発で殺してやる」と言い放った。驚いた友人は、懸命に泳ぎ自力で沼から這い上がってきたといわれる。この話が実話かどうかは確認されていないが、冷静で計算高く目的のためには荒っぽい手段も辞さないビスマルクの手腕を示す逸話として残っている。
日本の岩倉使節団がプロイセンに訪問したさい、伊藤博文・大久保利通らと会見し、彼らに大きな影響を与えたと言われる。大久保は西郷隆盛に宛てた手紙の中で、ビスマルクとモルトケを「先生」と呼び、その言説と人となりに大きな感銘を受けたことを綴っている。また、プロイセンの憲法を真似た明治憲法を作成した初代総理大臣の伊藤博文は、首相に在任していた頃、常にビスマルクを意識して行動していたため、ある日宮中への参内が遅れたさい明治天皇から「東洋のビスマルクは未だ見えないネ」とからかわれている(徳大寺侍従長の証言)。 在任中、使節団と会見した際「如何に小国が国際法に従順で、誠実な態度をとり続けていようと大国は平気で国際法を破るものだ」と国際法に敏感だった日本に対して皮肉にも似た警告をしている。
音楽にも通じ、名文家でもあった。 「賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばない。」という名言は竹下登が座右の銘にしていた。
鉄血政策とドイツ統一
1862年、新国王ヴィルヘルム1世によってプロイセン王国の首相 (Preussischer Ministerpräsident) 兼外相に任命される。この時、ヴィルヘルム1世と議会は兵役期間を2年にするか3年にするかで対立し、ドイツ統一を目標とするヴィルヘルム1世は議会を説得するためにビスマルクを起用したのである。期待に応え、ビスマルクは軍事費の追加予算を議会に認めさせた。この時にビスマルクは、
現在の大問題(=ドイツ統一)は、演説や多数決ではなく、鉄(=大砲)と血(=兵隊)によってこそ解決される
Nicht durch Reden oder Majoritätsbeschlüsse werden die großen Fragen der Zeit entschieden, sondern durch Eisen und Blut
という演説を行い(鉄血演説)、以後「鉄血宰相」の異名をとるようになった。
鉄血政策を大きく進め、その一方で国際的に良好な関係を作る事に腐心し、イタリア・ロシアに接近し、オーストリアと同盟を結び、同盟関係を背景に1864年にデンマークと争い、勝利してシュレースヴィヒ=ホルシュタインを奪った(第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)。この時の陸軍参謀総長は(大)モルトケであり、これ以降も政治・外交のビスマルクと参謀総長のモルトケのコンビは、対立しつつも活躍することになる。
対デンマーク戦争に勝利して国民の支持も取り付けたビスマルクは、更に手腕を振るうようになる。デンマークから奪った地域の領有権を巡ってオーストリアと対立すると、入念な準備の上で1866年6月オーストリアに宣戦布告、7週間で勝利する(普墺戦争)。その一方でオーストリアとの講和では寛大なところを見せて、オーストリアの決定的な反感を買わないようにも気を配っている。これによりオーストリア主導のドイツ連邦 (Deutscher Bund) は解消され、ドイツ圏におけるプロイセンの主導権は確たるものとなる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
「賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばない。」という言葉を残したことで有名です。
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